日本ハム・大田泰示「巨人で地獄を見た男」北の大地で目覚める
2021/08/30

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おおた・たいし ’90年、広島県生まれ。中学時代に野球教室で原辰徳からスイングを誉められ、原の母校・東海大相模高への進学を決める。昨年までのプロ通算9年間で打率.243、24本塁打、86打点。右投げ右打ち。身長188cm、体重95kg

「泰示らしく、思い切っていけ!」

日本ハムの強打者・大田泰示(27)が、栗山英樹監督から受けている指示はこれだけだ。細かいことは一切言われない。

「監督のおかげで、余計なことを考えずのびのびとプレーできています。結果を恐れずフルスイングを続けられている」

本塁打数はチームトップの10本(5月22日現在)。持ち味の長打力を、いかんなく発揮している。

「日ハムは練習を終えるのも休むのも、選手の自由です。コーチも細かいことを言いません。ただ、こちらの疑問にはしっかりと答えてくれます。ボクは毎試合前にトレーニングコーチと、5分ほどミーティングをしている。自分の打撃動画などを見ながら、不安な点があればぶつけているんです。『打球がセンター方向に飛ばないんですが』と聞けば、身体の動きを解説しつつ『上半身の開きが早い』と的確な指摘をしてくれる。上から押しつけられる指導ではなく、悩みに応じて納得のいく改善方法を提示してくれるので安心してプレーに取り入れられます」

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背番号「55」の重圧

大田は’16年のオフに日ハムに移籍するまで、地獄を見てきた。高校通算65本塁打で身長188cmの大型スラッガーとして、東海大相模高(神奈川県)からドラフト1位で’08年に巨人へ入団。同高出身の原辰徳監督(当時)の期待は大きく、ヤンキースに移籍した松井秀喜のつけていた背番号「55」を継承した。だが……。

「『なんでボクが?』という気持ちでした。甲子園への出場経験も実績もない18歳の子どもが、急に連日マスコミから注目されるようになったんです。早く松井さんのような大打者にならなければという焦りと、周囲からの期待の大きさに押し潰されそうでした」

2年目の6月に、一軍へ昇格した時のことだ。試合前に大田の本塁打狙いの大きなスイングを見た原監督は「誰があんなフォームにしたんだ!」と怒り、「もっとコンパクトに振れ」とマンツーマンで指導。6打席ヒットが出なかっただけで二軍に降格させられると、打撃練習で一振り終えるごとに「もっとシャープに」とコーチの注意を受けることもあった。

「いろいろな方から様々な忠告を受け、頭がパニック状態でした。自分を見失い、結果を出せない。必要以上に落ち込んだり、ふてくされた態度をとったこともあります。当時の岡崎郁(かおる)二軍監督から『あんまり腐るなよ』と声をかけられ、他の選手に見られないようにベンチ裏で悔し涙を流したことも一度だけではありません。

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ボール球を振ったらどうしよう、凡退したらどうしようと、気持ちはどんどん消極的になっていく。どん底でした」

コーチやOBに言われるがまま毎年のように打撃フォームを変えるが、大田の成績はいっこうに伸びない。ファンからは「背番号55を返せ、給料泥棒!」と、心無いヤジを受けたこともある。’13年に4年連続で二軍の三振王になると、オフに背番号55をはく奪され44に。’16年には日ハムへトレードに出された。

「巨人での8年間は、自分自身との戦いでした。もう二度とツラい思いをしたくない。移籍を機に弱気な自分と決別し、長所を活かそうと決めたんです。長打力を磨こうとね。春のキャンプでは一切テレビをつけず、イメージを叩きこもうと、前年にメジャーのMVPになったカブスの強打者クリス・ブライアントの動画ばかり繰り返し見ていました」

日ハムは結果が出なくても、大田を打席に立たせ続けた。巨人の8年間で通算9本だった本塁打は、昨年だけで15本。力強いスイングが戻り長打が増えた。

「1年を通して一軍で成績を残せたことで、自信がつきました。今は落ち着いた精神状態で、打席に入ることができています。三振したってかまわない。とにかく、思い切りバットを振ることだけを意識しています。本塁打は25本以上。できれば本塁打王を狙いたいです」

北の大地で覚醒した大砲に、もう迷いはない。

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