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カンニング竹山・カンニング中島
■カンニング小学校の同級生同士だった竹山隆範(たけやま・たかのり、昭和46年4月2日、福岡県生まれ)と、中島忠幸(なかしま・ただゆき、同6月14日、同)が組んだお笑いコンビ。福岡から上京後に再会し、平成4年に結成。下積みを経て15年から「エンタの神様」(日本テレビ系)をはじめ数々のバラエティーで人気を集めた。大ブレーク寸前といわれた17年12月、中島さんが倒れ、翌年1月に「急性リンパ球性白血病」を公表し、治療のため休業。相方の死後、竹山は芸名をカンニング竹山とした。
そんなカンニング中島は2006年12月20日、白血病のため35歳の若さでこの世を去りました。その後、相方の竹山はカンニング竹山としてピンで活動してきました。
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中島が闘病中、竹山は「カンニング」としてギャラを折半していた...
闘病生活1年目の中島忠幸さん
長男の翔太くんと妻の真奈美さんとともに...
これは竹山自身が進んで語っていることではなく、美談としても公表するつもりはありませんが、相方の中島が闘病の為、芸人活動休業を余儀なくされていた時、竹山はギャラを「カンニング」の仕事ととして、中島へ折半していたそうです。
そんなところに二人の絆の深さ、コンビ愛を感じますね。竹山が相方の死後、芸名をカンニング竹山としたことは亡き相方を常に背負って今後も仕事をしていく覚悟を決めたから、と言ったらうがち過ぎでしょうか?
竹山が相方・中島さんへ送った弔辞が今も読む人の胸を熱くする...
カンニング竹山が中島忠幸さんの告別式で読んだ弔辞が今でも泣けます。
「カンニング竹山が贈った相方への最後の罵声」がコチラ(全文)です。おい良かったな!みんなお前 みんな見に来てよるよ、お前 なんかさ、マスコミとかも、すごいぞ なんか昔全然 こんなんじゃなかったのに 凄いことになっとる!おまえに 昔お前に辞めようって話したときに でもなんか こう芸能界の前に爪跡だけ残して辞めようって話しして爪跡どころじゃなくなっとるよ!何か色々なあ 俺とお前の何か感動秘話みたいになっていっぱい流されよるけども 俺はお前がもう何て言いよるかもうわかるわ 「気持ち悪いなあ」ってお前 笑いよると思うんよ 俺もそう思っとるよ俺はお前と なあ二人でコンビ組んでずっとね こうやって 漫才とかやれて お笑い芸人になって やれたことが本当に幸せやった ありがとうもういつ そっちに往くか、もうわからんけども俺がまたそっちに往ったらまたやろうやいいかお前な、待っとけありがとう じゃあな いつもと同んなじように別れるぞ じゃあな-------------------------------------------------2006年12月24日 東京・中野区 宝仙寺での告別式
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11年後の竹山のツイートです。
良い話ですね。カンニング竹山の義理と友情の深さに感銘を受けました。
ネットの反応
・コンビ時代の竹山のキレ方は半端なかった...もう話がとんでもない方向に行って相方もマジでキレたり...面白かったけどな・なんか泣けるね(´;ω;`)ウゥゥ・竹山は普段は常識人なんだろうね・芸能人の弔辞って泣かせるものが多いね
カンニング竹山のキレ芸は一人になっても破壊力十分です。相方の中島さんが背中を押してくれているのかもしれませんね。
引用元:https://lemon-like.info/posts/4242,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]