実の父親は株式会社山の代表取締元社長。
祖母、従兄弟ともに美容家。4人兄弟、長女はヘアスタイリスト、次姉はシナリオライター・エッセイスト、兄は映像プロデューサー。
病に倒れたのは次姉の実花さんでした。
脳腫瘍の姉を支え続けた
余命4ヶ月と宣告された、次姉の実花さんの悲しくも愛に溢れた物語。
この様子は、TBS系列のテレビ番組「私の何がイケナイの?」で、品川さんと母のマダム路子さんにより明かされました。
実花さんが患ったのは、
悪性脳腫瘍「グリオーマ」。
腫瘍が大きくなるにつれ、言語障害や視覚障害などを引き起こし、脳が司る機能を停止させていき、最後にしをもたらす病です。
グリオーマは手術で取り除くことが極めて難しく、記憶力の低下や時間感覚が欠如していきます。
病が発見された当初、すでに腫瘍は肥大化し、幻覚までも見るほど末期の状態だったそうです。
手術から名医を探したり、あらゆる手をつくしましたが、病状は進行し、ついに余命4ヶ月を宣告されました。
それでも、品川さんは姉の元を訪れ明るく接し続けます。
病院の外では泣き崩れる姿をそっと見守るマダム路子。
もはやこれまでか、と誰もが思ったとき、品川さんはある1通のメールを兄弟に送りました。
その内容とは・・・。
病と闘うのは実花ちゃんじゃない
品川さんが兄弟に送った1通のメールがこちら。
「悲しくても、悔しくても実花姉ちゃんの前では徹底的に楽しく過ごす不幸中の幸いなのは実花姉ちゃんが辛い現実が分からない事この病気は実花姉ちゃんが戦うものじゃない俺たちが戦う病気だよ」
このメールが20年間アメリカで活躍していた兄をも帰国させ、バラバラだった家族が実花さんの元に集いました。
抗がん剤で髪が抜けても綺麗にしてあげよう、美味しいものを食べさせよう!たくさんみんなで笑おう―。
にぎやかな日々は過ぎていきました。
しかし、実花さんの病状は悪化するばかり。
そんな時、実花さんを支えるもうひとりの存在がありました。
そして、奇跡がはじまったのです。
結婚式を挙げたい
実は実花さん、病に倒れる半年前に、小中学校の同級生と婚約をしていたのです。
当時40歳。
実花さんの発病を知った周囲は、婚約者の裕二郎さんに婚約解消を説得しました。
しかし、裕二郎さんは休職してまでも、実花さんのそばを離れませんでした。
髪が抜けていく実花さんと同じスキンヘッドにし、思うようにしゃべることもできなくなった彼女を励まし続けます。
しかし現実は残酷で、
副作用が実花さんの体をボロボロにしていき、歩くこともしゃべることすらもままならなくなっていきました。
200万もする海外の未承認の薬を試しましたが、効果はなく・・・。
しかし、彼は諦めませんでした。
「結婚式を挙げたい」品川家にそう提案したのです。
この時すでに、実花さんの余命は2か月。
車いすということもあり、式場は病院の会議室で執り行われることになりました。
その様子がこちら。
たくさんの人に囲まれて祝福される実花さん
結婚式には、親せきから友人までたくさんの人が出席しました。
まるで病気などなかったかのように、みんなで写真を撮ったり、誓いのキスで盛り上がったりと、結婚式は順調に進んでいきます。
そんな中、実花さんはいたるところが麻痺し、視力もままならなず、感情も出すことができません。
結婚式を挙げていることすら、もう理解できていないかもしれない状態でした。
そんな中、「今の気持ちは?」
品川さんの問いかけに、表情も変えずに一言、実花さんは言ったのです。
この一言に、周囲は驚愕します。
奇跡はこれで終わらなかった
「今の気持ちは?」という問いかけに対して、
ただ一言、 「しあわせ」と実花さんは声を発したのです。
さらに感情を出すことができなかった彼女の頬には涙がこぼれていました。
そして、みんなの力を借りながらも車いすから立ち上がるという奇跡も起こしました。
それだけではありません。
結婚式後、腫瘍の進行がぱったりと止まったのです!
自宅療養ができるようになるほど回復し、裕二郎さんとふたりで暮らし始めました。
突然の別れ
2か月だった余命がその後1年の歳月を刻みました。
しかし、別れは突然。
悪性の腫瘍は脳幹に転移し、実花さんは天国へ旅立ったのです。
若くしてこの世を去ってしまった実花さんですが、そこにはたくさんの愛がありました。
「実花ちゃんはとてもしあわせな人生だった」と母であるマダム路子さんは語っています。
40年間という人生は短いように思えますが、実花さんのようにたくさんの人に愛され、「しあわせ」と最後まで言えるような人生を送っていきたいものですね。
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